会社の歴史
~ 60年の歴史、これからも南房総とともに~
昭和30年代、民宿で栄える町を支える
日本においてLPガスは1953年頃から使われ始めており、1961年の輸入開始を機に一般家庭に爆発的に広まりました。 1961年、まさしく時代に必要とされ、初代青木憲司により当社は設立されました。
初代青木憲司と妻、正江は二人三脚でLPガス事業に取り組みました。正江は日本女性第一号として、乙種ガス主任技術者の免許を取得したほどです。
昭和30年代の旅館業の最盛期、南房総の地には350件もの民宿が連なり、多くの民宿のLPガスの需要に応えていました。
当時は民宿だけでなく、渋谷区・大田区・文京区・練馬区・台東区・葛飾区・青梅等の喘息児の養護学校も南房総にあり、ここにもガスを納めていました。
昭和40年代になると ガス超高速レンジ「コンベック」でパンやケーキを家で作るブームも起こりました。当社もトラックの荷台に大量のコンベックを載せて、各ご家庭にお届けしました。
様々な宿泊施設が立ち並び、LPガス販売で忙しく働いた時代でした。
現在の青木酸素商店
2代目青木秀夫が大型車のエンジン鋳物製作などに携わったのち、青木酸素商店に戻ってきたのは25歳の頃のことです。秀夫は10年後の平成元年3月4日、代表取締役となります。
時代の変化とともに、プロパンガスは徐々に新たな需要が生まれにくくなりました。そこで南房総の地で何ができるだろう、人々の生活に密着したものは何かを考えました。
ご家庭を回っているとよく声をかけられる困りごと、水まわり工事や電気工事など、いわゆる生活を支える基盤=インフラを守ることが、お客様のためになると考えたのです。
「住宅設備」「大型建築物の設備」を提供することで、南房総地域に住まう皆様のお役に立てるのではないかと考え、職人たちと技術を磨き、資格を取得し、公共事業の一般競争入札にも参加しました。
気が付けば、多くの南房総市の公共施設や福祉施設などの建設にも携わってきました。
おかげ様で現在は、LPガス事業・設備工事・リフォームの3本柱で事業を営んでいます。
働く仲間に潤いのある暮らしをしてほしい
仕事で得られる達成感
仕事の対価として得られる報酬
仕事を通して得られる人間関係のあたたかさ
働く仲間にはそんな潤いのある人生になってほしい。
そこに青木酸素商店が関わることができれば、こんなに嬉しいことはありません。
働く仲間が充実した生活を送ることができれば、お客様にも喜んでいただける仕事ができる。
南房総市は人口減少が進む地域ではありますが、まだまだ人々は営みを続けています。そんな人々に地元企業として、人として、生活の基盤を支えていきたい。
現在は3代目の青木崇が専務取締役に就任し、会社も若返りつつあります。
これからも青木酸素商店は、南房総市とそこで暮らす人々とともに笑顔の歴史をつくっていきます。